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アルフォンス・ミュシャ展

先日、やっとアルフォンス・ミュシャ展に行ってきました。

場所はMusée du Luxembourg。

かなり前にマルク・チャガール展があり、それ以来でした。

 

ミュシャは日本でも多くのファンがいる、アールヌーボーを代表するチェコスロバキアの画家で、パリでサラベルナールにその才能を認められ、売れに売れた当時新進気鋭のデザイナーでした。

 

晩年は故郷に戻り、パリにいた時の商業ベースのデザインではなく、もっと人間の本質的な部分に目を向け多くの大作を残しました。


珍しく、絶対に行くぞ!!!と思っていたのですが、なかなか見に行けず、開催期間終了間近になって慌ててノクターン(夜間展示)で見に行きました。

 

休みの前の日なので、学校に子どもを迎えに行ってすぐに一緒に行きました。

 

でも、冬時間の雨の日なので、もうすぐに真っ暗に。

エッフェル塔の上の部分も霧の中。。。

 


我が家は、いつも常に目に見える場所にミュシャの本を置いていて、アイデアに行き詰まった時とか、時間のある時はよく手にとって見ているのですが、実際の絵の具の色は印刷のCMYKで表現できるはずもないほどの繊細かつ絶妙さ。

 

こんな私の写真の100倍は実物から感じるものはありました。

 

惚れ惚れします。


正直なところ、パリに来てよかった!と、この10年で最も強く思いました。

パリの良いところは、こういう作品を日常で簡単に見に行ける事。

でも、実はミュシャコレクターが日本にもいて、日本でしか見れないミュシャの作品もあるのです。

 

そして、本当に見れてよかったと思ったのが、このデッサンです。

ミュシャのポスターにおいて、植物は簡素化されているのですが、その簡素化するためには、まず植物のことを知り尽くして、それから必要な部分を抽出して描いています。

この知り尽くすためのデッサンの細かさ!!!

だからこそ、簡素化しても有り余る説得力!!!

 

ミュシャはサラベルナールの次々へと行われる舞台のポスターを描くために時間に追われていたのですが、その中でのここまでの詳細なデッサン!

ミュシャのポスターには1枚の中に多くの植物が出てきています。

その一つ一つを研究し描く。考えただけでも途方に暮れる作業量です。

 

しかも、ここまで描けるなら、技術だけでも描けるはずにも関わらず、深く追求するこの姿勢は尊敬に値します。


私のフルリールデザインの意味もそうなのですが「花が開く」というワードが自分はとても好きなのですが、ミュシャのパリ時代の作品はまさにこの「花が開く時の華やかさ」を感じます。

 

ポスターのフォントデザインも各作品によって異なり、デザインに応じてフォントデザインも変えてあり、デザイナーとして、もうただただため息しか出ません。

いや、フォントデザインどれほど時間がかかるか!パソコンでもそうなのに手書き。。。

 

手書きの時代にこの完成度。

 

どれをとっても、今でも全く遜色なく色鮮やかな感動を与え、100年も前の作品でも全く古さを感じない。

 

年数を重ねると、技術が身につき、それを使用する事で、商業レベルにおいて十分なクオリティのデザインができるようになるのが経験なのですが、経験に甘んじて、もっと深くもっと最高のものを探求するのを時間がない事を理由に怠っていたのではないかと自問自答しました。


このタイミングでデザイナーの根本となるような「意識の高さ」を痛感させられた事は自分にとって貴重という言葉では足らないほどの出会いだったなと感じました。


フランスに来て、文化の違いや価値観の違いなどで打ちひしがれた時もありますが、根本的な生物としての愛というものは国境が変わっても一緒で、そういう普遍的な愛というものは、国境どころか時代が変わっても同じなんだなと、今日は改めて感じました。