赤木先生との思い出。

私が最も尊敬する芸術家、パリの画家、赤木曠児郎(あかぎ こうじろう)先生が2021年2月15日、一時帰国中の故郷岡山で天国に旅立たれました。

 

訃報が届いたその日から、うまく言葉にも出せず、文章でも触れれず、ひと月が経ちました。

 

私は、自分の大切な友人が繋いでくれたご縁で、先生がパリに来られた50周年の節目の先生が主催された食事会にも呼んでいただき、その後、赤木先生のホームページを作成させていただきました。

 

彼女が天国に旅立ち、彼女が赤木先生と丁寧に作り上げたウィキペディアをなんとか分かりやすく伝える事ができないか?と思い、赤木先生に日本向けのオフィシャルサイトを作らせてくださいとお願いし、快諾していただきました。

 

赤木先生の、ひたむきに「描く」姿勢は、ただ「強く」今も私にとって光のような存在です。

 

 

私の拙い文章で、先生の輝かしい功績を表現するのはあまりにも申し訳ないので、OVNIの記事のリンクを貼らせていただきます。→OVNIの記事はこちら

 

先生はここにも書かれているように、正真正銘の画家で、私はいつも先生の描くパリの街がほんとうに大好きでした。

 

そこには、どんどん移り行くパリの街の、その時の目に見えている部分や様子だけではなく、人々の息遣い、匂い、街の雑踏、喧騒、喜び、葛藤など生きている人の生活のすべてが先生の絵には詰まっているように感じ、私はいつも先生の描かれるパリを見る度に、

「もし自分がフランスを離れ、日本に帰り、胸を掻きむしるほどパリを懐かしく感じる事がもしあるのなら、それは間違いなく赤木先生の描かれたパリの街を見た時だろう。そのくらい先生の絵にはパリという街の魅力やそこに生きる人の息遣いや生活の全てが詰まっている。」と感じました。

 

先生はこんな私のうまく言葉に表せない言葉にいつも

「そういってくれるとうれしい。」と笑顔で言ってくださいました。

 

誰からも認められ、多くの人に愛され尊敬される先生は、とても気さくで朗らかで優しく、いつもすごい方だという事を忘れてしまうような親やすいお人柄で、ユーモアに溢れ、本当にチャーミングな方でした。

 

縁を繋いでくれた友人に誘われて行った、ルーブル美術館地下のカルーセルルーブルでの展覧会の時も、先生は日本人画家のリーダーで、突然のトラブルに対応すべく紐を探して「紐はどこだぁ!」とフットワーク軽く会場を駆け回っていらっしゃいました。

いつも先生は最前線で動いてらして、私の友人もいつもほっこりする面白い人で、私は友人と先生のいる空気感がとても好きでした。

そして、いつも先生のそばには奥様がいらしゃって。

 

そして、机に向かう時にはいつも先生のことを思い出します。

私など先生の足元にも及びませんが、先生の「描くこと」への姿勢、誠実さは何かを作る事の原点を見せていただきました。それでも足元にも及びませんが、いつも作る事、表現する事にベストを尽くしたいと常に思います。

 

サイトの打ち合わせの後、別れ際に「描きたいものがいっぱいあるんだもの!」と笑顔で言われた事が忘れられません。

あの時、フランスで子ども達と生きる事に何かたいそうな理由を求めていた私は、先生の無邪気な笑顔と言葉にはっとさせられ、何かがストンと腑に落ちました。

 

 

赤木先生、天国で奥様にはきっと会えましたよね。友人ともきっと笑って話していますよね。

先生の今がどうか健やかでありますように。